卒業式のときになんどと頭にうかんだ言葉です。
それほど嬉しいわけでもなく、それほど悲しいわけでもない。 なんだかとっても変わった気持ちがしました。
国際関係学のスペシャリストになろうと思っていました。たぶん学者かなって思っていたのに4年たった今僕はITの仕事につきます。まったく違う方向に来たとはおもってません。全てのことは関係していると思います。視野が広く、考え方が柔軟になったのだと思います。
95年、ボストンの夏は暑かった(夏はどこでも暑いね)。
一応憧れていた大学で英語を勉強したのですが、今思えばすごく肩に力が入っていたなと思います。
あんまり遊びにもいかずによく勉強してました:) 正直言って自信がないようで自信があった。
今もそうですが自分の気持ち次第です。
いろんな人に会ったけどけっこう英語できるじゃんって思った。
いつかこの学校に戻って来ようって思ったスタートでした。
僕はスイスの大学に行きました。 なんでスイス?
よく聞かれるのでじゃあなんで日本、なんでアメリカなの? ヨーロッパがすごく好きでした。
特にイタリアにすごく魅力を感じていました。 アート、建築、歴史、サッカー、パスタ
etc。
Franklin Collegeはスイス南部のイタリア語圏にあります。
そしてスイスは国際機関等も多く自分の勉強する分野が身近に感じられること、安全であること、山と湖のきれいな景色、もちろん大学自体の魅力とスカラーシップという幸運もありました。
毎日が大変でしたが小さな街にある小さな大学でスイスでの生活を苦しみ, 楽しんでいました。学者になるためのステップもなんとなく描けていたし、”いける!”と思っていたし、とにかく大学のあるルガノの街が大好きでした。
ただスイスでの一年はちょっとバテました。
物価も高いしちょっとのんびりしたいと思ってサンタモニカに移り南カリフォルニアの眩しい陽の下おきらくごくらくな生活を1年間。
今でもリフレッシュにはLAへいくほど気にいってます。
勉強のプレッシャーがそれほどなかったので、サイクリングやテニスなどアウトドアで過ごすことも多く、生活にかなり余裕がありました。
LAで働いている日本人の方々との出会いや、テキスト以外での新しい発見が多くその中でもコンピューターとビジネスにものにすごく興味を持ちはじめました。
特に、マーケティングが好きでしたが、スーパーマーケットで常連客が使うショッピングカードはすごいと思った。買う方はクーポンがもらえたりといろいろ得するし、店の方もデータによってカスタマーサティスファクションの向上を目指せるしビジネスの本質をおさえていると思った。それいらい僕のビジネスに対する考え方の中心に”ごく普通の日常生活の中で幸せになる”というマーケティングコンセプトの解釈があります。
充電期間を終え大学のディグリーを取るごとく97年の夏真っ最中って頃に再度引越し
。
国際関係、IT、ビジネスなどいろんなことを考慮してワシントンDCのAmerican
Univeristyにトランスファーしました。
AUではInt'l Business を専攻し Int'l Marketing を中心に勉強しました。
すっかりビジネスマインドになりましたが、”なんだスイスにいた方がお金かかんないじゃん”ってある時為替レートを見て思いました。
いろんな意味で4年間高い授業料でいろいろ勉強したなって感じです。
前の2校に比べたらAUは教育システムや施設がそれなりに整っていて快適でした。
何をするにしても自分の心構えが大切だと思いますが、環境も同じくらい重要です。
AUは国際色豊かだし日本からの留学生はなかなか居心地よく過ごせると思います。
4年間概して勉強は大変でした。
いやってほど勉強したのにまだ満足できない気がするのは、それなりに知的好奇心が膨らんだからなのでしょうか!?
国際関係学自体ものすごくジェネラルな分野で政治も経済もなんでもありですが、ビジネスに興味をもってからも国際経営学で結局いろんなことを幅広く学んびました。ArtもITもコミュニケーションも好きだし、でも量を取るから質が落ちるのではなくその分がんばればいいと思っていたのでかなりトラブルメーカー的な考え方だと自分でも思います。
確かに競争は厳しいのですが、結果に関わらずしっかりとした姿勢で取り組めばチャンスが見えるのがアメリカの教育のいいところです。
(日本の画一的、完璧主義的な考え方は知的好奇心を挫くところがあると思います。"あれダメ、それダメ、これもダメ!!")アメリカの教育はオープンだと感じます。たった一つの決まった答えなどなく、本質さえおさえていれば正解はいくらでもある、という気がする。
個を大切にして、オープンすぎてあれもこれもみーんな大切って感じで宿題も多いが・・・
ついでにちょと比較文化的なことを言ってみるとアメリカは概して強さを強調しますよね。 勝った者が全てを取るっていうのはどうかと思うので、日本の敗者に手を差し伸べる思いやりみたいなものも大切だと思うが。でも、実力主義のアメリカでは年齢や性別も(基本的には)関係なく、能力を認めてくれます。 日本はその点、年輩の方々を敬ういい文化がある反面、それだけに頼ってきた人たちが少なくても90年代の日本をダメにしていませんか!?
いずれにしても日本人の根気のよさは勉強などで大変な時、ほかの国の人たちが驚くくらいの力を発揮します。だから、日本とアメリカどっちがいいとかじゃなくて両方をよく見ていいところは参考にしたらいいのでは?アメリカのオープンなところは日本の教育に絶対必要だと思う。
大学3年の夏、日本のあるエンジニアリングの会社でおもしろい経験をしました。
技術力では高く評価されている会社ですが、経営学を学んでいた自分としてはちょっとマネージメントサイドがエリートエンジニアの実力を使い切れてないなって正直思った。
”良い物なら売れる”と思うのは今の時代あますぎますよね。プロダクトを作る技術だけでなく、ビジネスをマネージする技術、そしてビルゲイツのように速さと強かさをもっていないと。と言ってもいろいろと勉強になった。前の学期に生産管理のクラスをとっていたので日頃まったく縁のないプラントの図面や検査書類なども興味深く見れた。ある朝、アニュアルリポートをもらいたいと思い会計部を訪ねてから仕事に行くと、マネージャーの許可を得てからいけと親しくなった上司に半ば怒られるように言われたりもした。ルールやマナーというよりも”自分は出る釘”だと思った。(自分の会社のことを知りたいと思って何が悪い!?どうせ余ってるのに。。。)仕事に関しては世界中のベンダーからの書類管理をして、グローバルソーシングいうコンセプトを身近に感じられた。また、一緒に短期間働いた同世代の人達といろんな話をしたり、昼休みにサッカーをしたのも楽しかった。
"やっぱり日本の会社はおとなしいエリートがほしいんだなー、"なんて夏だけの仕事の自分は周りを見てはよく思ったもんだ。
いずれにしても理論から離れたところで実際のビジネスの場を見れたのはいい経験だったと思います。
4年の秋リサーチセンターでインターンシップを始めました。
アメリカの政策者に色がついていなく、Manipulateされていない日本に関する政治、経済等の情報を提供するというミッションの下で仕事をしましたが、とにかくものすごく勉強になりました。ニューズレターを書いたりセミナーに出席したり、たかが学部生にしてはもったいないほどの学ぶ機会に恵まれた。
まず、日本についていろいろ学んだ!
日本人だからといってみんなどれほど日本のことを知っているだろうか? クラスなんかで日本のことを聞かれることが結構ある。例えば日本のビジネスのことなんてそんなに知っているわけないのにそれでも期待された時に答えられないと悔しい。(”アメリカ人のあんただってUSのビジネスを今勉強してるんじゃんかー”と言ってやりたい)いい面も悪い面も、日本にいては見れない日本のようなもの見えてきた気がします。それに、あんまり好きじゃないけど、アメリカのエリート達が集まるワシントンDCのインサイダー的な経験ができたのはいい経験だと思う。日米関係の政策に関しては周りに惑わされないで本質が見抜けるように少しはなれた気がする。
卒業式の翌日からフルタイムで8月まで働いていますが、小さいノンプロフィト(非営利組織)で経済的に運営が厳しかったりするのですが、そのぶん自分のバックグランドや機動力にあってると思います。最先端の知がすぐ手の届くところにあるのでつねに学ぶことがあるのも刺激的でよいです。
自分が勉強してきた分野ではそれなりに自信がありますが、今後いっそうITが社会を変えていくと思うし、E-commerce等のビジネスのフィールドで動けるようLACで自分のパラダイムを広げていきたいと思っています。また、自分のポテンシャルを高く買ってくれていると思うし、自分らしく成長していけそうだなと思うこと、そして日本のことをもっと知りたいと思っています。
それでは、インターンシップや就職に関してちょっとだけTIPを書いてみます。 僕は我が道を行くタイプの人間なのであんまり多くの人に役立つとは思えないが。
まず、仕事を探すにあたって(いつもだけど)、”自分らしくいこう”っていうのがあった。 ビジネスとしては面白そうでもなかなか学生をまっすぐに見ようしない企業はどうでもいいや!勉強もインターンシップもしっかり取り組んできたと思うし、ビジネスパーソンとしての自分の可能性にはそれなりに自信がある。自分の本質で勝負!と思った。だから”活動”というような取り組みかたはしなかったし、したくなかった。ジョブフェアや面接では自分なりのビジネスに関するフィロソフィーなんかをいいたい放題言ってすごく楽しかった。
ただ、あまりリスクをおかしたくない人はいわゆる就職活動というものをしっかりとしたほうがいいと思います。早めにコンタクトをとったりとかそれなりに献身(dediate?)するべきだろうし、でも、日頃留学生活を積極的に送っていれば勉強面だけでなくいろいろと面接の際に話せることがあるのではないのかな。ほかの留学生を見てて、なんらかにしっかりと取り組んでいた人、それか就職対策というようなものに必死になってMake-upした人はちゃんと仕事が見つかっています。だから両方できたら無敵かな。アメリカで働きたい人はインターンシップやキャンパスでのバイトとか何らかの経験はMustです。コンピューターとライティングのスキルが結構見られますが、それ以上に自分の勉強をしっかりしておくべきです。ちゃんと勉強できない人にちゃんと仕事ができるわけないというのがごく普通の考え方です。個を大切にする反面、
自己管理能力が問われます。 (アメリカの”自由”の意味は留学生活の間何度も何度も考えてみるといいと思います。)
アメリカはすごく学歴主義、そして実力主義です。だからいつも知的好奇心を持って自分を向上することに努めるべきです。ちなみに成績がAの学生は学者に、Bの学生は会計士に、そしてCの学生は経営者に向いているとアメリカの大学では言われます。
”You Are Your Project" Tom Peters というビジネスコンサルタントの言葉です。
最近は日本ではインターンシップや資格にすごく人気があったりして働くということを意識することが多いのではないかと思います。でも、せっかくの留学生活で就職が目的になってしまうのは避けたいですよね?例えば、アートヒストリー等を専攻したら就職に不利(?)とかという話もたまに耳にしますが、他の人にはない教養と知識をみにつけられますよね?
どんなことでもいいから自分で一生懸命にやってみることが大切だと思います。実際、経営学を勉強したり、ビジネスに人一倍興味をもっている人はほんの一握りだってちょっと周りを見渡せがすぐ気づきますよ。働いている人のほとんどはお金のため(?)とか生活の一部だから(?)。なのであまり周りばかり気にして縮こまらず、自分らしく留学生活をおくったらどうでしょうか?
アメリカやヨーロッパでは大学はすごく勉強がハードです。そして、クラスの合間を縫ってインターンシップやバイトします。そして、パーティーも多いです。よく学び、よく遊ぶ。
ヴァイタリティーがないとちょっときついです。海外で勉強しようと思うくらいですから基本的に考え方がオープンだと思っているかもしれませんが、そう強く思うこと自体オープンでないということにも気づいてください。今後一つ一つの自分で決断をしていくことになります。自分は何ができて、何をしたいのだとか、自分の中の声をよーく聞いて留学生活のなかでハッピーでいられるよう自分のプロジェクトを築いていきましょう。
Always choose to open yourself!
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"If one advances confidently in the direction of his dreams,
and endevors to live a life which he has imagined, he will meet
with a success unexpected in common hours. (Henry David Thoreau)
Yuichi Ikeda
私は17歳からの5年間をヨーロッパで過ごしました。海外に行ったきっかけは父親の転勤でしたが、家族が帰国した後も一人で残って勉強を続け、2年前に帰国しました。5年間という年月は長い人生の中ではほんの一部の期間かもしれませんが、私の性格と物事に対する考え方を変え、今の自分の中で大きな位置を占める大変充実したものでした。
始めの一歩・・・イギリス
私の海外生活の第一歩は、1991年、高校2年生の夏に始まりました。父の仕事の都合でスイスのバーゼルに翌年4月から行くことになり、まず少しでも環境に慣れようと、夏休みにイギリスでホームステイをすることになったのです。
今までに経験したことのなかった12時間という長いロングフライトの後、ロンドンに到着し、そこから車で2時間ほどのウェールズにある語学学校へと向かいました。ヨーロッパの夏は夜10時近くまで明るく、まわりの景色が車から良く見えました。一面の草原に羊達。そしてその向こうにはレンガ造りのおもちゃのような家。まるでおとぎ話に出てきそうなかわいらしくて素敵な風景でした。あの景色は今でも忘れられません。あのきれいな景色が、スイスに行く前の不安とためらいをすっかり吹き飛ばしてくれました。
イギリスでの経験のおかげでためらいが消え、前向きに考えることができるようになった私は、92年1月から家族がスイスへ向かうまでの2ヶ月半、一足先に1人でイギリスに行って英語力を磨く決心をしました。スイスの公用語は英語ではありませんが、4月から通う予定だったインターナショナルスクールは授業がすべて英語でしたし、少しでも早く英語に触れておきたいと思ったためです。夏休みの時と同じ語学学校で2ヶ月半勉強することになりました。
学校と言っても、ウェールズの片田舎にある個人が経営する生徒数10人足らず、先生2人の学校で、塾と言う名の方が合っているようなところでした。本当に何もないところで、しかも寒くてろくに外にも出られない。楽しみといったらお菓子を食べること、日本の友人に手紙を書くこと、週一回隣町まで映画に連れていってもらうことぐらいしかありませんでした。文法や話し方を気にすることなく何でもいいから話せばいい、変にかまえなくても通じる、という自信を身につけることはできましたが、英語力よりも皮下脂肪のほうが多くついた2ヶ月半でした。
試練の始まり・・・スイス
皮下脂肪とちょっぴりの自信をつけた私は、92年4月、スイス、バーゼル市に向かいました。イギリスから飛行機で1時間弱しか離れていないとはいえ、言葉も家の造りもまたまた違う世界に入り込みました。まず公用語がいくつもあるのにびっくりしました。スイスの公用語はドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語(スイス古来からある言語)の4つで、私が家族と共に住んだのはドイツ語圏の町でした。ドイツ語とはいってもスイス独特の訛りと方言があり、ドイツ本国の人は理解するのに苦しむそうです。ドイツ語圏のスイス人の方は、まず学校に入ったらドイツ本国のドイツ語、High Germanを勉強するそうです。
スイスというとアルプスと山小屋を思い浮かべる人も多いと思いますが、私が降り立った町はスイスで2番目に人口が多い町で、石畳の道と路面電車の走る町。いわゆる都市で山は見えません。高校のクラスメートからの寄せ書きには、私がアルプスの少女ハイジみたいな生活をするのかと思っていた人もいたみたいですが、いやいやそんなのは無縁の世界でした。その後、夏休みにアルプスに旅行に行き、その時やっと「これぞ多くの人がイメージするスイス」という景色に会うことができました。それまで自分が本当にスイスにいるのかあまりイメージがわきませんでした。
学校
何はともあれ学校に通い始めることになったのですが、思った以上に大変でした。イギリスの片田舎の小さい語学学校という限られた世界にいた私は、外の世界の人がどれだけ、そしてどのように言葉を話しているのかはっきりと飲み込めずにいました。授業がすべて英語、生徒も英語を母国語とする人が3分の1近くを占めるインターナショナルスクールでは、英語を母国語とする人たちのペースで授業と時間が進んでいました。話すスピードももちろん速く、めまぐるしい速さで授業が進んでいきます。語学学校の中でクラスメート達ととっていたコミュニケーションは、今のこの世界ではへろへろのものだったのです。
そんな中で授業を受けてもついていけることの方が少なく、始めの3ヶ月はESL、数学、体育ぐらいしかまともに受けられませんでした。たとえ受けることができたクラスでも、言葉の壁はまだまだ大きく立ちはだかります。数学は日本に比べるとずいぶんと簡単になっていて、内容は私が中学3年生から高校1年生ぐらいの頃に習っていたものでした。そのおかげで計算式はいとも簡単に解けるのですが、文章問題には苦労しました。問題一つを理解するのに5分近くかかるのに、その後答えるのにかかる時間は30秒。こんな簡単な問題に私は辞書とにらめっこしながら苦戦していたのかと問題を解くたびにむなしい気分になっていました。
地道に努力をしながらゆっくりゆっくり歩き出しましたが、思ったように物事が進むことの方が少なく、試練は続きました。言いたいことがうまく言えない。思ったことがうまく相手に伝わらない。そして相手のことを理解するのに時間がかかってしまう。授業だけでなく、学校生活全体でもそういったもどかしさはつきまといました。辛抱強い人、私と同じ思いをしてきた人はそんな私をゆっくりと理解してくれましたが、全員がそうではありません。いくらもがいてもうまくいかないというもどかしさが積み重なり、くやしくてくやしくて夜中1人でめそめそ泣いたこともしばしばありました。思いを寄せていた同じクラスの男の子と仲良くなることすらできず、イギリス人に取られてしまったなんていう情けない話もありました。
でも、少しずつですがまわりが見えるようになり、自分の言いたいことをうまく相手に伝えることができるようになってきました。仲のいい友人もでき、バレーボールのクラブに参加したりして、少しでも自分にできることをやるようにしました。いくらくやしいと思っても、自分で動かないと何も変わらないし、足元にある問題を解決しないと次へは進めないのです。17年間日本語だけを話してきたのだから、すぐにアメリカ人やイギリス人みたいに話せるわけがありません。高望みをしてもくやしい思いをするだけです。他の欧米国の言葉と比べると、日本語は文字の形態にも文法にも大きく違いがあるので、習得するには他のヨーロッパ諸国の人たちよりも時間がかかります。でも、たとえどんな言葉であれ、この学校にいる人たちはみんなじっくりじっくり歩んできたはずなのです。
新しい世界へ
ひたすら耐え、ゆっくり、でもがむしゃらに努力しながら毎日を過ごし、なんとかインターナショナルスクールを卒業することができた私は、同じスイスでもイタリア語圏のルガノという町にあるアメリカン・カレッジに入学しました。
勉強
いくら1年間やってきたとはいえ、私の英語力は授業に完全についていける状態ではなく、始めの1学期は英語の強化コース(non-creditで単位にならない)を受けました。下積み期間を経てから本格的に授業を受けるようになってからも大変さは変わりませんでした。念入りに勉強しておかないとすぐにわからなくなりました。それに、与えられる課題や勉強量も驚きでした。まず学期の一番始めに、分厚いうえに重たい教科書を何冊も買わされます。(全教科いっぺんに購入したら立てなくなりそうでした!)そして授業の前に決められたページまで読まされ、その内容をベースにして授業が進みます。その読まなくてはいけないページ数が半端なものではありませんでした。アメリカ人にとってはたいしたことがない量だったかもしれませんが、私はまさに「ヒーヒー言いながら読む」といった感じでした。恥ずかしながら、全部読みきれた日はめずらしかったのを覚えています。
とにかく、何をするのにも英語を母国語とする人の2倍以上の努力と気力が必要でした。本を読むのに費やす時間も、授業を理解するのにかかる時間も、レポートを書く時間も、全部2倍。何においても人の倍やらないと普通のレベルにまで追いつけないのです。周りの人たちが楽にしているのを見て恨めしく思ったこともありましたが、私には他に方法がありませんでした。学年が上がるにつれて少しずつ慣れて楽にはなってきたものの、人以上に努力しなくてはいけないのは変わりませんでした。ひとつ残念だったのは、どんなにがんばっても並のレベルにしかなれなかったことです。いくらがんばってもいつも成績は真ん中。もう少し勉強に費やせる時間があれば、とか、日本語でこれだけ勉強していたら上位の方に行けるのではないか、なんてないものねだりをしてみたこともありました。
でも、成績はどうであれ、しぶといぐらい努力することができるようになりました。簡単にあきらめたりしなくなりましたし、途中で投げ出すような中途半端なことをしなくなりました。全てが自分自身との戦いで、あきらめるということは自分に負けること。それが嫌でした。
生活
勉強に追われながらも、とにかく毎日が楽しかったのを覚えています。良い友達もでき、日本にいた時には体験できなかったことができたり、出会うことのなかったものに出会ったり、見ることができなかったことを見ることもできました。
まず、日本にいる時には遠い世界だった各国の人や情勢を身近に感じることができました。日本にいる時には何がなんだかよくわからなかった世界情勢。でも、この学校には情勢の中に巻き込まれている人達がいました。自国の状況が悪くて外国に逃げ、家族全員が離れ離れで暮らし、そんな状況でも勉強を続け、最優秀の成績で卒業した人がいました。国の情勢が常に不安定なために女性でも兵役があり、卒業後に国に戻ったら兵役につかなくてはならない人もいました。でも、そのような人たちは、どんなにつらくて大変で逃げたしたくなるような状況でも、さらに前に進もうという強い意志を持った人たちばかりでした。島国というバリアのなかでのんびりと暮らしてきた日本人の中の1人である私にとって、そのような状況に置かれている人達が身近にいるという発見はショッキングなことでした。人間は、大変な状況に立たされたりすると大きく強くなるんだな、甘えきっているとだめなんだな、と思いました。
今まで知らなかったさまざまな国の文化や習慣も知ることができました。例えば、中近東の国は皆同じだと思っていましたが、実は同じアラブ諸国でもイスラム教の規制等に差があるとか、サウジアラビアでは女性が車の運転をしてはいけないとか、同じイタリアでも南と北では人々の性格がずいぶん違うとか、ロシアでは風邪をひいたらウォッカを飲ませられるとか。どうでもいい事かもしれませんが、たくさんの小さな発見をすることができました。
大学での生活で、さまざまな国の人達に会い、さまざまな事を知り、広い視野を持つ事ができるようになりました。文化が違うという事は価値観だってもちろん違います。想像もできないような考え方や行動をする人も少なくありません。いや、世界のさまざまな場所から集まってきているのですから、同じ人がいる方が少ないのです。違うのが当たり前なのです。そのような状況に長い間いたためか、たとえ自分と違う意見を持っていたり違う行動をとる人でも、いらいらしたりせず、その人の考えている事、している事を頭に入れながら接する事ができるようになりました。大学での4年間では、人間関係において、泣いたり笑ったり怒ったり考えさせられたりしながら、世の中には本当にいろいろな人がいるんだな、と実感させられました。
学校のカリキュラムの中に各地に旅行につれていってもらうというものがあり、ヨーロッパの各地を訪ね、本当にたくさんのものを見る機会にも恵まれました。ギリシャの大きな遺跡に青い海。今も生々しく残されている第二時大戦時の強制収容所跡やナチスが行進したという滑走路のように広くて長い道路のあと。東ヨーロッパ諸国が冷戦終結後に一歩一歩成長している姿。教科書で見たり読んだりしたもの、テレビの画面でしか見ることができなかったものなどを実際に見て感じる事ができました。
そして卒業
4年間があっという間に過ぎ、いよいよ最後の年になりました。卒業論文が待ち構えています。
私が選んだトピックは日本に関するもので学校の図書館にある資料では到底足りなかったため、休みに日本へ帰ってきた時に徹底的に資料集めをしました。家の近くの図書館に足しげく通い、百科事典や文献のコピーをとりまくりました。大きな本屋を渡り歩き、1時間近くうろうろしながら粘り、本をたくさん買いました。スイスへ戻る時のスーツケースの中身は半分近くが集めた資料だったのを覚えています。
スイスに戻ってからも、毎日考える事は卒論の事でした。最後の年だからいろいろなところに行きたいのに、やりたい事もたくさんあるのに、ひたすら学校の図書館に通っていました。普段の勉強の事ももちろん考えなくてはならず、テストの前なんてパニックでした。学期の終わりの方は毎日がパニック状態で、ご飯の時にもペンを持って何やらぶつぶつ言いながら考え事をしているほどで、「食事の時ぐらい忘れなさい」と友達に怒られた事もありました。ものもらいができて目がはれてしまってお岩さんのような状態になり、おまけに精神状態もだいぶ不安定だったようで、なぜか赤いペンを好き好んで使うという変な時期もありました。
そんなこんなで私の4年間の成果と全精神をかけた卒論を書き終わり、思った以上に良い成績をもらう事ができました。今までどんなにがんばっても真ん中の成績しか取れなかったのに、初めて上といえる成績を取る事ができたのです。最後の最後でしたが、やっと今までの努力が報われた気がしました。卒業が決まったとたん、空を飛びそうなぐらい舞いあがってしまい、一緒に卒業した仲間とシャンパンを開けて騒ぎました。うれしくて仕方がなかったけれど、ここを去っていくと思うとちょっとさびしい思いでした。
帰国後
今の私
私は今、アメリカのオフィス用品販売会社の日本法人で商品発注の仕事をしています。輸入品の発注にも関わっているので、幸い英語は忘れないで済んでいます。勉強していた学科の内容そのものを直接仕事に生かす事ができないのは残念ですが、海外で体験したり学んだりした事が今の私の考え方として私という人間の中にしっかりと根付き、仕事の際にも普段の生活にも生かされています。
帰国してから2年たち、いまでは時々向こうでの生活が夢だったんじゃないかと思う事もあります。でも、向こうで経験した事は確かに私の中に根付いています。この先の長い人生で参考になるような良い勉強をしてきたと思っています。海外での生活は弱虫だった私を強くしてくれました。小さなことにとらわれず、のびのびと生きる事を教えてくれました。根気良く努力ができるようになりました。広い心がもてるようになりました。きっと将来結婚して子供ができ、その子が外国で勉強をしたいと言い出したら、私はきっとその希望をかなえてあげられるように最善を尽くすだろうと思います。つらい思いもしましたが、自分を向上させるとても良い経験だったからです。海外で勉強できるという機会に恵まれて私は本当に幸せだったと思います。